Mのあしあと🐾 乳がんだけど、元気です。

再発乳がん只今元気に治療中。何気ない日常、笑ったことや泣いたこと、治療経過をつらつらと……。

がんになる理由とは

38歳で初めてがんと診断されるまで、ほとんど病気らしい病気をしたことはありませんでした。

小学生から高校生まで1年に1〜2回風邪をひくくらいで、陸上部にも入っていましたし、いくらか控えめに言っても健康優良児そのものでしたᕦ(ò_óˇ)ᕤ✨

唯一持病といえば、短大生の時に転んで尻もちをついた拍子に患った椎間板ヘルニアくらいのものです。

ですから、自分の体についてあまりにも無関心すぎたのかも知れません。

もちろん基本的には好き嫌いなく何でも食べますし、太りすぎず痩せすぎず、タバコを吸ったこともないですし、時々お酒は呑みますが適量ですし、睡眠も十分ですから特に不健康な生活をしていたわけではないのです。


ではなぜ私が乳がんになったのだろう?

これを考えないがん患者はいないと思います。


「あの時のあれがいけなかったのか」「あの食べ物を食べたからか」「なにかのバチが当たったのか」……


答えがわかれば誰も病気になんかならないわけですから、たぶんこの問いの正解はないのです。


遺伝子や細胞レベルでは答えがあるのかも知れませんが……。


私は難しいことはわからないので、『なぜ自分はがんになったのか』をいまだにふと、考えてしまいます。



私の場合、がんと告知されたのが娘が不登校だった時期と重なってしまいました。

きっと娘は『ママが病気になったのは私のせいじゃないか』と悩んだに違いありません。

憎きがん細胞は何年も前からひたひたと私の胸の中で増殖していたはずですから、そんなわけないのに。


その頃思春期真っ只中の娘は、面と向かって私にそう尋ねはしませんでしたが、きっとそんなふうに考えていたと思います。


そんなふうに思わせてしまっていること、学校のことで苦しい時に十分に助けてあげられないことがとても情けなく、悔しく、辛い時期を過ごしました。





悪いのはあなたではない。

悪いのはあなたの陰口をいう人たち、無視するひとたち、知らん顔をする人たち。

ママが病気になったのは誰のせいでもない。

悪いのは意地の悪い病気のせい。



あの頃の私はそんなふうに言ってあげることができませんでしたが、その後娘は転校して友達もできて楽しい高校生活を送り、今はもう成人して若さを謳歌しています(^ ^)



私のガンが再発していることを娘にはまだ言っていません。父や母も知りません。仕事先の人にも言っていません。

知っているのは主人だけです。

知らない人の前では私はがんではありません。

いつもの元気で天然なママでいられるのです。



ここではこんなに思っていることを話せるのに、大切な人にはなかなか言い出せない。


きっとこれが私がブログを始めた理由なのかもしれません。


主人に再発している事を話した時、

「一緒に頑張ろう」と言ってくれました。

「パパは何を頑張ってくれるの?」(意地悪な質問ですね〜)

「仕事を頑張るよ」

その答えを聞いた時、とても勝手ですが『はあ?』と思いました。

一緒に泣いて欲しいのか、苦しんで欲しいのか……

その時はとてもモヤモヤしたのですが、今思えばその答えで正解なのだと思いました。

パパには健康でいてもらわなければいけません。

元気にいつも通り仕事をしてくれたら、それで十分なのです。

日本人の2人に1人ががんになる時代。

家族3人の中で誰かが病気にならなければいけないのだとしたら、それはきっと私でなければいけなかったのだと思います。

娘が病気になるなんて考えたくもありませんし、もし主人が病気なってしまったら、私だけの稼ぎでは満足な治療を受けさせてあげることが出来ないかも知れません。


だから私は家族のためにご飯を作って、掃除をします。

なぜ私ががんになってしまったのか。

現在では私も含め、がんと共存し普通の生活を送っている人が沢山います。

私は病気になった事でそれまであまり気に止めていなかった自分の体のこと、家族の健康のことを真摯に考えるようになりました。


私ががんになった意味。

これからはもっともっと自分と家族の健康を考えなさいということなのかなと思います。





最後まで読んで頂き、いつもありがとうございます😊



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