映画『人魚の眠る家』を観て
昨日は、公開されたら絶対行くと決めていた東野圭吾さん原作
映画『人魚の眠る家』を観ました。
監督は、『20世紀少年』『天空の蜂』などで知られる堤幸彦さんです。
夫婦役の篠原涼子さんと西島秀俊さんは、『アンフェア』以来12年ぶりの共演だそうです。
人間の生とは、死とは何かを問う非常に重い内容でしたが、最後までスクリーンに釘付けでした。
どこか不自然さを感じながらも、篠原涼子さん演じる薫子と西島秀俊さん演じる和昌の苦悩や希望に共感してしまいます。
この行為は正義なのか罪なのか。もし私が薫子の立場なら……。
死とは心臓が止まること。
例えば人間が死ぬとはどういうことかを訊ねられたら、私は漠然とそう答えます。
心臓が止まるということは全ての生命活動が停止するのですから、至極当然な事だと思います。
では、脳が機能していない状態で心臓だけが動いている場合はどうなのでしょう。
世界的に脳死を人の死であるとする国は多いようですが、日本は臓器提供の意思の有無で変わるそうです。(この映画で知りました)
母性と狂気の狭間で、ひたすら娘の世話に没頭する篠原涼子さんの演技は鬼気迫るものでした。
私も母親ですから薫子の気持ちが痛い程わかります。
しかし違和感の種は少しづつ大きくなり、
彼女の闇に触れた時、その行いが突然不気味で薄ら寒いものになります。
人間が越えてはいけない範囲。
“神の領域” を決めるのも人間なら、医療技術の進歩でその領域は少しずつ狭まりつつあるのかもしれません。
涙涙の終盤、ラストには少し救いがありました。
スピード感あるストーリー展開であっという間の2時間でした。